内地へ来て以来かれこれ十年近くなるけれど、
故郷はそれ程までにいいものだろうかと、時々不思議になることがある。成程郷里の平壌には愛する老母が殆んど独りきりで
殊に昨年はコスモスの咲き出す頃、すぐ上の姉
こういうところからして、私と彼女の間に於る姉弟の情にも又特別なものがあったと云える。私が帰る頃を聞き知って真先に母の許へやって来て待ってくれたのもこの姉だった。そして私が林檎好きだと彼女は勝手にきめて、いつも国光に紅玉など水々しくて色のよい甘そうなのを一抱えずつ買って来てくれた。彼女の死が老母に与えた精神的な打撃というものは余りにひどい。正にその次は自分位であろうとひとりよがりに考えて、少しでも余計に悲しもうとする私である。その姉が今度帰ればもういないのだと思うと、丈夫な歯が抜けたように心の一隅が空ろである。
それでもやはり故郷への帰心は抑え難くはげしい。これは一体どうしたものだろうか。左程に故郷を恋しく思わない友人達を見る度に、私はむしろ羨しくなり又自分をはかなく思うのである。此頃も私の家では母と京城の専門学校から戻って来たばかりの妹が二人きりで侘しく暮していることであろう。先日の妹の手紙には、私の帰って来るという四月は平壌の花植時だからその時揃って庭いじりをしましょうと書いてあった。私は丁度その先便で母や妹宛に、今度帰って行くことにしたから、裏庭にはあきれる程までにトマトを植え、井戸の上には藤棚をしつらえ、私のささやかな書斎の前にはヘチマを上げるように、そして前庭には絵屏風となるまでに朝鮮朝顔をと書いて送ったのだ。私は悲しみに打ち沈んでいる老母を、そんな仕事からでも気をまぎらわせたかったからである。それで妹の返事を見て重ねて手紙を出したところ、つい五六日前の手紙には母が着々用意を整え、トマトの方もあきれる程までに沢山註文したし方々から花種も取寄せているということだった。その上この文を草している今日は又奇しくも母が
とはいうものの故郷に帰りたいという思いは、ひとえに母や姉や妹、それから親族の人々に会いたいという気持からだけではない。やはり私は自分を育んでくれた朝鮮が一等好きであり、そして憂欝そうでありながら仲々にユーモラスで心のびやかな朝鮮の人達が好きでたまらないのだ。東京でいつもせせこましい窮屈な思いで暮している私は、故郷に帰れば人が変わったように困る程冗談を云う。友達にはむろん先輩にさえ、気がどうかしていると思われる位に実のない冗談を持ちかける。もともと人一倍そういったところが好きで、深刻そうに真面目ぶるのが苦手の性分でもあるが。だから帰れば家でも毎日を冗談と笑い話で暮しているようなものである。そういえば又思い出すが死んだ姉などは殊に私とは調子が合って、何事にも声を出して笑い、笑ってはついに腰が折れるまでに笑いこけたものだ。だが時々急にこの地で致し方ない程の郷愁にかられると、大概は神田の朝鮮食堂にでも行って元気な学生達の顔を嬉しそうに眺めたり、朝鮮歌謡の夕だとか野談や踊りの催しなどをさがしては出掛ける。それも今は少くなったが。――そこで移住同胞達の笑顔を見たりはしゃぐ声を聞いたりすると、時には思わず微笑ましくなり、又涙ぐましくも悦に入ったりするのだ。あの朝鮮語のふざけた
朝鮮の空は世界のどこにもないと云われる程、青くからりと澄んでいる。早くその下を歩きたいと此頃思い出したので、どうにもしようがなくなって来た。こうして私はいつも朝鮮と内地の間を渡鳥のように行ったり来たりすることになろう。何しろ母も年が年なので、あの澄み渡った青空の下、どこか好きな大同江の流れでも見下ろされる丘の上に住みたいものと心では考えている。
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