3-36『夫婦(みょうと)のむかし』
―山口県―
昔、昔の大昔。
なんでも、人間ははじめ、夫婦(みょうと)が背中あわせにくっついて生まれてきていたそうな。
あるときのこと、大勢の人間たちが集まって、神さまに、
「わしたちゃあ、背中と背中とがくっついちょるんで、夫婦でありながら我が女房、我が夫の顔を見ることも出来ん。これではなんぼうなんでも情(なさけ)のうございます。
どうか背中を割っていただきとうございます。
前のわしと後ろの妻とが、顔を見られるようにしてください。おたのみ申します」
と、お願いした。
神様は、ちょっとの間(ま)考えて、
「それも、もっともじゃ」
といわれ、御手(みて)を、手刀(てがたな)きるようにバスーっとたてに下ろされた。
そしたら、そのとたん、みんなの背中が軽うなった。背中が割れて、ひとつがふたつになった。
片割れの顔をシゲシゲ見つめあうのがいたり、モジモジし合うのがいたり、「はじめまして」とか「やあ」とか「オウ」とか言うてみたり、なかにはずうずうしいのがいて、「ホォー」というのやら「トホホ」というのやらがあって、とにかく、めでたいめでたい、と大騒ぎ。あっちこっちで抱き合うたり、肩たたき合うたり、とんだりはねたりしているうちに、混じり合うて、どれが己(おのれ)の片割れやら何が何だか分からんようになってしまったと。
景色(けしき)のいいのや心映(こころば)えしそうなのには「俺が夫だ」「あたしが妻よ」というて、幾人も名乗り出てくるのに、だぼはぜやおこぜみたいなのには誰れも来なかったりしたと。
それで人間たちは困ってしまい、また神様に、
「背中割ってもろうてありがたかったですが、片割れがどれがどれやら見分けがつかんようになり申した。これでは連れ相いと会うことが出来ません。なんとかして下さりませ」
と、お願いしたと。すると神様は、
「それじゃあ、愛するっちゅう力を与えてやるから、それをたよりにたずねまわって、片割れをさがし見つけよ」
と、いわれたそうな。
人間たちは、愛するっちゅう力がどんなものやら分からなくて、とりあえず一緒に暮らすものも出てきた。暮らしているうちに、しっくりいくものといかない者があったと。
しっくりいくものは片割れ同志で、しっくりいかない者は片割れでなかったと。
「私、神様が授けて下さった愛するっていう力が感じられないの」
というて別れて、また、片割れをさがしたと。
今でも離婚はあるけど、あんまり深刻にならんでいい。なにせ、大昔にこんな調子だったのだから。
人は誰れでも愛するっちゅう力を授かっていて、いつか必ず、その力を感じる片割れに出逢えるそうな。
これきべったりひらの蓋(ふた)。
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