2-50『ホー爺(じい)さん』
―長野県上伊那郡―
ここは信州上伊那(しんしゅうかみいな)の川島村(かわしまむら)というがな、
あれは儂(わし)のまだまだ子供の頃だった。村に一人暮らしの爺様がいてな、村の人はこの爺様のことを、「ホー爺(じい)」と呼んでいた。
ホー爺が春早く粟(あわ)をまく畑をさくりに行った。水上(みながみ)神社へ手を合わせてから近くの畑へ行くのだが、
「もうそろそろ昼だ、むすびでも食べるとするか」
と独り言を言いながら、腰に着けていたおむすびの包をとって上手の芝原(しばっぱら)に腰をおろし、風呂敷包みを開いた。
が、まずは一ぷく吸ってからと思って、きせるを取り出して煙草に火をつけ、ふーっと一息吐いてから、どれ、むすびを食べようと手に取って見て驚いた。
むすびは、石になっていたと。ホー爺は、
「こりゃやられた」
と言って、家に帰ってからお昼を食べたそうな。
ホ―爺は、次の日もその畑へ行って仕事をした。腰が痛くなるほど鍬(くわ)を振り下ろしいたら、いつの間にか夕方になっていた。
「ほう、もうこんな時分か、帰らにゃぁ」と言って、鍬をつかんで畑を出ようとすると、そこは土手で、どうにも出られねえ。
どろも変だと思ったとき、ホー爺は、やられたな、と気がついた。で、肩にかついだ鍬を
「どっこいしょ」
と、大きな声で足元の土に振りおろした。
すると、でっかい狐が足元から飛び出してもんどり打って畑の向うの藪(やぶ)の中へ逃げたと。
そのとたんに、あたりの夕景色(ゆうげしき)が昼間の明るさに変って、ホー爺は畑の真中に立っていたそうな。
ホー爺は、その次の日もまた同じ畑で仕事をしていた。
すると旅の人が来て、「今日は」と言って道端の土手の石に腰をかけて休んだので、ホー爺も土手に腰をおろして一ぷく吸うことにした。
煙草入れを出しながら、「どこまで行くだね」と聞くと、「この村の奥まで」と言う。
「そうかえ、そりゃまだ遠いなぁ」
と話をしながら、ホー爺が火打石でカチカチと煙草に火をつけていると、旅人は、袂(たもと)から紙に包んだものを取り出して、
「こんなものだがおあがり」
といって、ホー爺の膝の上に置いて、
「それじゃあ」
と言って行ってしまったそうな。
ホー爺は、何をくれたのかなぁと思って手に取ってみると、それは枯れた木の葉に包んだ小さい石ころだったそうな。
家に帰ってから、近所の人に、この三日間のことを話したら、
「三度も同じ所で化かされたなんて、ホー爺もしっかりしなけりゃ駄目だぜ」
と笑われたと。
ある日、誰かがホー爺に、
「狐の嫁様でも世話をしてやるか」
と言うと、ホ―爺は、
「馬鹿にしんな、狐の嫁とるくれえなら、独りでなんかいるものか。今に見てろ、良いばあさんに来てもらうでな」
と言って笑っていたが、いつの頃からか、ホー爺の家に婆さんがいるようになった。
近所の人は不思議に思ったが、ホー爺はいつものように働いている。その内、近所の人も、あまり気にしなくなっていた。
ある日の夕方、隣りの子供が、
「今、ホー爺の家へ、でっかい犬のようなものが入って行った」
と言うので、隣りの人はホー爺の家をのぞきに行った。が、家の中には何もいねえ。
「どうも、なにかおかしい」
と思って、家のまわりを回ってみると、土台の下に穴が掘られていた。
隣りの人は、早速わなを作ってその穴の所に仕掛けておいた。
すると、でっかい古狐がかかったと。
ホー爺は、うまい物はみんな狐に食われて自分はすっかり痩せほろけてしまったそうな。
昔はな、水上(みなかみ)竹ノ沢(タケンザワ)あたりには狐がいてな、よく人を化かしたもんだ。今はたんといなくなったがな。
それっきり。
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